先日、某所で早めのランチを食べようとガストに入ったときのこと。11時半頃に入ったのですが、全テーブルに「読売新聞」が置かれていて、ちょっとびっくりしました。冬のお試し購読キャンペーンをやっているとのこと。
新聞に気を取られて気がつかなかったのですが、もうひとつ「お試し」としてテーブルに置かれているものがありました。ヤマサ特選醤油の「鮮度の一滴」。パウチ容器内に空気が入らず酸化しない新しいパッケージの醤油ですね。これも全テーブルに。
まさにテーブルはメディア。
新しい価値は提示できているか
さて、昼の11時半から12時半頃までそのガストにいたのですが、客層はサラリーマンと近所のご婦人たちという感じで若干年齢は高めな感じ。その人たちにとっての、このふたつの「お試し商品」を考えてみます。
まず、新聞。
- 客層の多くは、すでに購読しているか、購読を辞めている。
- 若い人があまりおらず、「購読したことがない」という人はたぶん少ないだろう。
- 購読を辞めた人に向かって「もう一度購読してみませんか」というメッセージ。
- ただ、新しい価値が提示できていない。「もう一度」といったときのメリットがわからない。価値の再発見でもいいけれど、それも特になし。
一方、ヤマサの醤油。
- 客層として、近所のご婦人方はばっちしOK。サラリーマンもまあひとまずよし、と。
- この新しいパッケージはCMで見た、ニュースで見た、知っているけど、まだ買っていない、というのが大半ではないかと。あるいは、ここで初めて見た。
- 新しい価値は提示できている。パウチという新しいパッケージ。こぼれそうでこぼれないし、空気も入らず新鮮。
価値の提示(新しい価値か、価値の再確認)
食後にそこでちょっと仕事の準備をしなければいけなかったため、僕はそこでこのお試しの新聞は読まず、頼んだメニューに醤油は必要なかったのでヤマサ醤油も使いませんでした。時間に余裕があったら新聞は読んでいたかもしれません。まわりのサラリーマンの何人かは新聞を読んでいました。
でもたぶん、新聞は「あれば読む」、というニュアンスでしょうね。それはよくある新聞で、ニュース以外の新しい発見はないでしょう。僕も「新聞の購読を辞めた人」なので、辞めた層に対するメッセージとしてただ「もう一度とってみませんか」というのは、ちょっと弱すぎます。そこに、新しい価値がない。
提案するときに、そこでちゃんと価値を提示しなければいけない。伝えなければいけない。新しい価値でも、価値の再確認でもいいでしょう。
そういうことを、店を出て乗った電車の中で考えていました。
ファミレスのテーブルの、メディアとしての乱雑さ
でもね、そもそもファミレスのテーブルの上は、メディアとしてすでに情報過多なのではなかろうかと。
メインのメニューを横に立てかけても、上の写真のようにごちゃごちゃした状態。情報過多。控えめに言っても、ちょっとうるさく感じます。コーヒーを飲んでいても落ち着かない。これはメディア側がコントロールしなければいけない問題。