「広告が効かなくなったんじゃありません。つまらない広告が効かなくなったんです」

「広告が効かなくなったんじゃありません。つまらない広告が効かなくなったんです」。電通の雑誌『アドバタイジング第14号』に掲載されている、コピーライター山田慶太氏のコラム「真夜中のスキップ」での言葉。

その通りだと思います。広告だけに限らず、サービスもコンテンツもそうでしょう。つまらないもの、面白くないものは相手にされなくなってきた、素通りされるようになってきた……。消費者、つまり僕たちの可処分時間は変わらないのに、そのパイに多くのサービスやコンテンツや広告や情報が群がっている構図ができてしまった。アテンションを集め、さらにできるだけ興味を繋いでもらうためには、平均的なものでは話にならない。そのような状況。

さらに、私たちの日常が忙しくなるにつれ、その可処分時間の「単位」も「濃度」もどんどん短くなり薄くなっています。まとまった時間はなかなか取れなくなっていますし、常に何かをしながら、移動しながら、電車に乗りながら、電車が来るのを待ちながら、食事しながら、……。

永井孝尚氏のブログ MM21 の「広告は、「芸のない」モノと、高度に洗練されたモノに、二極化していく」というエントリーにも共感するのですが、広告という面で見ると、「○○で検索」や「続きはウェブで」や PPC 広告といった「誘導することが目的になりつつある広告」と、それ単体で興味を引きつけ印象付ける広告とに、どんどん分かれていくと思います。どちらが良くてどちらが悪いとは判断できませんが、Web 屋としては、広告やメディアやコンテンツが相手にされなくなったと嘆く前に、相手にされるようなものを考え、作り出す努力をしなければいけない、ということでしょう。