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3月11日の地震から帰宅までの状況を書き残しておこうと思う

2011年3月11日の地震のときのことを、ちゃんと書き残しておこうと思う。阪神淡路大震災のときは僕は21歳の大学生で、当時はブログなんてなかったので、あのときの体験と記憶は僕の頭と心の中にしかない。今回はここに記録しておくことにする。

※ここに書いている注意点やポイントは、必ずしも絶対正しいわけではない。これを書いている時点で、僕がそう感じていることをまとめているので、最終的にはみなさんご自身の状況において判断してください。

地震発生

この日僕は、お客さんのオフィスにいて地震にあった。東京都内23区内。

お手洗いに行って、「ん?なんかめまいかな?」と感じたのが、あの大きな揺れのひとつ前の小さな揺れだったと思う。オフィスの席に戻ってすぐに、大きな揺れが来た。

揺れはすごく長かった。阪神淡路大震災のときは寝ていたから時間的な長さとか揺れの大きさは比較しようがないけれど、「このままこれ以上揺れが大きくなったらどうしよう」と不安になるほどの時間的長さがあった。机の下に潜り込んだのは、防災訓練ではない実際の地震では初めて。

潜り込んだ机の下から、携帯のメールで、その日たまたま休みで家にいるはずの相方さんにメールを送っている。「大丈夫?」だけのメール。送信時間は14時49分。送信はこのときは普通にできた。携帯の時間はあっているので、地震発生が14時46分だから、少なくとも3分間は揺れていたということか? 14時51分に返事が返ってきた。

大きなオフィスビルなので、大きな揺れが収まってからもなんだかずっとゆらゆら揺れていた。地面が揺れているのかビルが揺れているのかはわからない。

ひとまず大きな揺れが一段落して、Yahoo!のトップページを開く。この時点で、「ああもうこれは大変なことになるな」という直感。ふと我に返って相方さんに電話をかけてみる。つながらない。実家に電話。つながらない。

Twitterが普段どおり生きているようなので、知人の安否はそれで確認したし、確認できた。携帯電話のワンセグを少しつけたけれど、テレビのない環境ではたぶんその時点ではそれが一番まともな情報源だったように感じる。でも、携帯電話の電池が気になるので、すぐに消した。

あとはTwitterで情報確認。そのときの状況下では、これしか頼るところがなかったというのが正直なところ。「マスメディアからソーシャルメディアへ」というわけでは決してなく、制限された状況下でのリアルタイムな情報を得る手段 or 連絡を取る手段が僕にはそれしかなかった、というのが現実。

余震は結構来た。比較的僕は落ち着いていられた。被害が相当ひどいことになるのは予想できたけれど、そのときに僕がここで何をすべきかというところまで頭はいっていなかった。ここでこう書いていいものかわからないけれど、周囲は比較的「危機感」よりも「大きな地震があったというテンションの高い状態」だったように思う。仕方がないかもしれない。普通に仕事を再開している人もいた。

15時30分頃から、帰宅できるかどうかを考え始める

15時30分頃から、帰宅できるかどうかを考え始める。都内の電車が止まっているというツイートをちらほら見かけた。とりあえず、自動販売機でペットボトルの水を買う。上記のツイート時間は15時41分。

PCのUSBから携帯電話を充電できるコードを持っているので、充電させてもらう。帰宅時の携帯電話の電源を確保するため。

地図について

実は僕は、「震災時帰宅支援マップ」という地図を持ち歩いていた。もちろんその日のカバンにも入っていた。阪神淡路大震災を経験した人でも持っている人はあまりいないと思うけれど、「これがあるから少なくとも家にはたどり着ける」という安心感はずっとあったと思う。

でも、この日に実際に使ってみた感想を言うと、「文字が小さくて、暗い街中で地図を見るのは非常に困難」だと感じた。「震災時帰宅支援マップ」は普段見る地図ではないので、見慣れていないからページの構成や仕様はほとんど知らない。必ずしも「地図の上が北」になっていないので、路上で地図そのものを理解するのに少しとまどうことがあった。

なので、いまこれを書いている3月27日現在は、「震災時帰宅支援マップ」をやめて、一般に売られている地図を持ち歩くようにしている。

文庫本サイズの、一般に売られている普段使いの地図。僕はもう、震災時帰宅支援マップじゃなくてこれでいいかなと思っている。

歩いて帰宅することについて

15時30分頃から帰宅できるかどうかを考え始めて、水を買い、携帯電話を充電した。地図は持っている。仕事を再開しようかと思ったり、TwitterのTLを追ったり。

「1時間歩くとだいたい5キロぐらい」とツイートしたのは16時34分。僕は、デジパにいたときに100kmを歩いたことがあって、少なくとも50kmぐらいまではまともな状態で歩ける自信があった。これは安心という意味ではとても大きかったと思う。かかる時間の目処もおおまかにはわかっている。

ただ、地震後の状況下で1時間5キロというのは、現実的には少しむずかしいと思う。「人が多い」「荷物が重い」「靴が必ずしも歩きやすい靴ではない」という条件があるので、1時間4キロがいいところじゃないかなと思う。

歩くときの注意点。

  • できるだけ足に負担がないように歩く。
  • 絶対に走らない。
  • 無理して前の人を追い抜かない。自分のペースを守る。
  • 段差のあるところを歩かない。
  • 歩きやすい靴を。ヒールの人は歩くのをあきらめるか、歩きやすい靴を調達すること。
  • 無理せず必ず休憩すること。

お客さんのオフィスを出る

オフィスのみなさんが帰宅する気配が一切ないので、お先に失礼することにした。

「いまから歩いて帰る」とツイートしたのは17時21分。正確にオフィスを出た時間はわからないけれど、17時15分ぐらいか。

この「初動」が早かったのか遅かったのかはわからない。政府からは「オフィス待機」が出ていたらしいし、でも東京都心部ではその時点で建物の大きな倒壊が起きていないので、いま帰宅しないと帰れないおそれがあるだろうというのが僕の判断だった。

その時点で、家までどれぐらいの距離があるかは調べていない。あらかじめ地図を見ていて、「いったん渋谷に出て、代々木公園の西沿いをずっと上がって新宿に出て、青梅街道にぶち当たったらそのまま青梅街道を歩く」というのだけを把握していた。

地図を見て歩くときのポイント。

  • 必ず大きな広い道を通ること。最短の近道ではなく、できるだけ人通りの多い太い道路を選ぶこと。
  • よく知っている道を選ぶこと。
  • 可能であれば、知人とグループで行動すること。

忘れたこと

オフィスを出てしばらくして気がついたのは、「食料を調達していない」ということ。ビルの1階にあったコンビニでおにぎりを買っておけばよかったと思った。歩く途中にあるコンビニに入ってみたものの、もうおにぎりなどの食料品はなかった。

写真はどこだろう。西新宿3丁目とか4丁目付近か。広くない道路で、渋滞して車がほとんど動かない状態。

ちなみに、携帯のメールは少しずつ届くようになっていて、できるだけいまいる地点を相方さんに送るようにしていた。あと、安全な場所でできるだけ状況をツイートするようにした。これは、僕にもしものときがあったときの手がかりとして。

食事

新宿付近で目に入った「松屋」で食事した。ほんの少し席が空いているようだったのと、ここで食事しなければたぶん何も食べられないだろうと感じたから。牛丼をかき込む。ここで食事しておいて正解だった。青梅街道沿いのファミレスは、進むほど(そして時間がたつほど)閉店していたし、コンビニにはもちろん食料はほとんどない。

ちなみに松屋の調理場は結構ギリギリの状態だったと思う。金曜日の夜とはいえ、通常以上のオーダーが来て、あと1時間もすれば食材がなくなりそう、みたいなニュアンスだった。

歩く

そこからは、しっかりとでもゆっくりと歩いた。できるだけ足に負担をかけないように、前の人を無理して抜かさないように。

青梅街道に出てからは、ものすごい人になった。歩道から車道に人が溢れるくらい。「高円寺陸橋下」の交差点付近のコンビニで、トイレを借りて少し休憩した。休憩は大事。ここで温かいものを飲んだような気がする。

上の写真は杉並区役所の前。テントを出して、無料で水を配っていた。水だけじゃなかったかもしれない。

杉並区役所の付近。すこし人は少なくなってきたような気もするけど、それでも結構な人通り。

歩きながら、兄や知人などからメールが届く。状況のやりとりをする。

自宅に着いた時間を正確に覚えていないけれど、メールの状況から、おそらく21時30分から22時の間だと思う。21時40分だとして、歩いていた時間は4時間半ぐらいか。

落ち着いてから、歩いた距離を測ってみたら、約20kmだった。短くてよかった。

歩いて帰るときにつらかったこと

歩いて帰るときにつらかったこと。それほどたいそうなレベルではないけれど、つらかったこと。

  • 荷物が重かった。100kmを歩いたときは必要最低限の軽装だったけれど、満載のビジネスカバンの斜め掛けはかなりきつい
  • 靴が歩きにくかった。スニーカータイプの革靴だったけれど、それでも歩きやすくはない。
  • 寒かった。なんでこの日に限ってダウンジャケットを着てこなかったのかを悔やんだ。

振り返り

青梅街道にさえ出れば必ず帰れるという自信と安心があったので、特に不安はなかったし、結果として無事に帰れた。もう少しイレギュラーな場所にいれば状況は変わっていたかもしれない。僕にとっては、「地図を持っている」というのと「100kmを歩いたことがある」というのが自信の大きな要因だったので、少なくとも地図を持ち歩くことはみんなにおすすめしていいと思う。

できるだけ落ち着いて行動したつもりだったけれど、食糧の確保は少し失敗したかもしれない。

20kmを歩いて4時間半。

もし東京も停電だったとしたら帰宅できる状況ではないだろうし、ビルの中に留まっていたかもしれない。

この文章が絶対的に正しいとは思ってはいない。でも、少なくとも「緊急時に長距離を歩いて帰宅する」側面において、少なからず何かの参考にはなると思っている。

いちしま泰樹

いちしま泰樹

株式会社真摯 代表取締役、Webマーケティング・コンサルタント。マーケティング視点とデータの根拠を軸としたWebビジネスの改善を支援しています。本名、市嶋泰樹。

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Cinci

株式会社真摯

お客様と真摯に向き合い、伴走するコンサルティング会社。マーケティング視点(Marketing)とデータの根拠(Analytics)を元に、Webサイトの改善と集客施策の改善、ビジネスプロセスの改善の3つを支援します。

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