コミュニケーションに必要な肴=タグ?

広告β:コミュニケーションの本質を垣間見た

いつも読んでいる広告βさんの「コミュニケーションには肴が必要だ」というエントリー。素晴らしい。その通りかもしれない。

たぶん、コミュニケーションには、「肴(さかな)」が必要なんだろう。
それは井戸のようなもので、それを含めて、コミュニケーションのはずだ。
そしてこの「肴」は、その都度、名前や様態を変える。

広告β:コミュニケーションの本質を垣間見た

基本的に人見知りする僕にとって、いきなり「会話しろ」って場を設定されてもやっぱりちょっとそれは無理であって、「今日の天気は…」だとか「こないだのセミナーで拝見しましたよ」だとか「ブログ読んでますよ」とか「これどうやって使うん?」とか「犬かわいいですね、名前は?」とか、なにかしらお互いの間をつなぐ「ネタ or something」がほしいのです。そう、「肴」。

共通の敵、共通の課題、共通の行為、はたまた共通な道具やキーワード…。ん?

「肴」=「タグ」みたいなものなのかも。

思うに、BlogやSNS、最近ならTwitterも立派に「肴」の要素を持っていると思う。でも同時に、まだ何か足りない気もする。

広告β:コミュニケーションの本質を垣間見た

リアルな会話や飲みの場では、話が途切れても酒を注いだりトイレに立ったりちょっと赤ちゃんをあやしてみたりと「逃げ」の要素があったり、曖昧な返事でもその場では通じたりするけれども、ウェブにはそれがない/できないから、というのが理由のひとつかもしれません。なんとなく。